南加福岡県人会 百周年
年代表

年代
日系社会
南加福岡県人会
1908 4月3日 ロサンゼルス市在住の福岡県出身者30数名により創立総会を開き、南加福岡県人会が発足した。
1913 外国人土地法(*1)
1914 第一次世界大戦
1922 ケーブル法制定(*2)
1924 移民法制定―新規日本人移民の入国を全面的に禁じた。
1932 ロサンゼルスにてオピンピックが開催 140ページの最初の会員名簿が作成された。総数470家族であった。
1937 日米通商航海条約破
1940 750家族が会員名簿に収録された。
1941 第二次世界大戦
在米日本資産凍結
日本人の活動は制限され県人会活動も活動停止の止む無きに至った。 そして750家族は各地の収用所に転居させられ会員も四散してしまった。
1942 2月8日 ルズベルト大統領の大統領令9066(*3)により、日本人移民をキャンプに収容する。
1943 2月1日 全日系人の第442戦闘部隊が作られる。
1947 特別法により日本人「戦争花嫁」の合衆国入国が許された。 戦後、各収用所からロサンゼルスに帰還していた有志が呼応して県人会再建が協議された。 しかし当時の戦後事情から福岡県人会では無く名称も福岡県クラブとして再発足した。
1949 再度南加福岡県人会と名称を冠し新規約などを整備、戦後の再出発の基礎を作った。 同会の主な行事は福岡県人間の社交を中心とし、定期総会、親睦会、夏のピクニック、秋の敬老会、先没者追悼法要、慰霊祭を年中行事の中心として開催、会の維持は各催しを通して寄付された芳志を元に運営された。 当時から各県人の芳志は県人会運営の重要な資金源であった。
1951 サンフランシスコ講和条約。連合国の日本占領が終わった。
1952 年間185人の日本人移民入国を認めた。
1958 婦人会発足
1965 新移民法を制定した。
1973 釣りクラブ発足
青壮年会発足
1974 ゴルフクラブ発足
1975 南加福岡県人奨学資金制度発足
1978 カラオケクラブ発足
1987 ゲートボールクラブ発足
2006 太鼓倶楽部 鼓玄會発足

(*1 外国人土地法) 1913年8月10日から施行される。この法は「帰化不能外国人」(つまり日本人を含むアジア系移民)の土地所有を禁じた。

(*2 ケーブル法) 1922年(大正11年)、白人と非白人との通婚を抑制するための法律 “The Cable Act”が成立し、アメリカ市民が非アメリカ市民と結婚した時は、アメリカ市民は自動的に市民権を失う旨を規定した。白人の場合は、離婚または死別により婚姻が解消すると市民権を回復できたが、非白人の場合は、婚姻が解消しても(帰化に不適格な人種という理由で)市民権を回復できなかった。

(*3 大統領行政命令9066号) 1942年2月19日−裁判や公聴会なしに、特定地域から住民を排除する権限を陸軍にあたえる。